―悪霊(下) ドストエフスキー
舞台となるのは、農奴解放令などの近代化政策で混乱中のロシアです。
そんな時代の、政治的?思想的?秘密結社の青年達と、彼らの陰謀に巻き込まれる人達の人間模様、って感じかしら。(てきとう)
私の萌えっ子ステパン先生は、大学の先生で、地主のワルワーラ夫人に囲われて、そのうち追い出されて、ふわふわ綿菓子だけ食べて暮らしているような、多分旧時代の象徴のような人なんです。対して息子のピョートルは秘密結社のメンバーで、父親とは折り合い悪い感じです。
そしてピョートルが「俺のツァーリ」と勝手に崇め奉っているのが、父を囲うワルワーラ夫人の息子(ややこしい?)で、サド侯爵も兜を脱ぐと評判のニコライです。
ちなみに小説の語り手は、ステパン先生の盟友で、どうやら新聞記者の”私”。
上巻はステパン先生のテンションで楽しく読めましたが、下巻は……
救われない方へ救われない方へ転げ落ちていくもんだから、ページを繰る手も重くなりがちで、しかも目が滑ってあんまり話が頭に入って来ず。
なんか読んでるとまさに悪霊に精気吸い取られて、すごい疲れるんですけど。萌えどころじゃなくなっていくんですけど。
なんなんですかね。
自分もワルワーラ夫人くらいのパワーが欲しいと思いました。
そんな中、”私”とステパン先生の絆がキラリと光ります。
ある時大々的なパーティーというかお祭が開催されるんですが、ステパン先生が講演を頼まれるんですよ。でも客の中にはごろつき共がいるもんだから、講演者は野次られたりするわけです。
もう”私”はステパン先生が傷つくんじゃないかと気が気じゃなくて、控え室にご注進に行くのですが、ステパン先生は聞く耳持たず、むしろ妙なやる気を出しているわけです。案の定野次られて、会場は大混乱で、講演は大失敗。”私”のステパン先生を気遣い心配でならない気持ちと、もう知るか!と投げやりになっている気持ちの、揺れる男心がキュンとくるんですよ。
結局ステパン先生を放っておけない”私”は、ステパン先生を訪ねるのですが、ふて寝して一向に会おうとしないステパン先生…おとなげなくてぐっときます。
彼らは最初から最後までこんな感じでした。
ラスト近くで、”私”がステパン先生の最期を淡々と語るのも、逆に深い悲しみを感じて胸が痛みます。
結局ニコライもピョートルもつかみどころがなくて、よくわからない人達でした。
ほんとステパン先生は、きょーごくどーの薀蓄に半目になっている時にえのさん登場で目がカッと開くくらい、私には太陽のような人でした…!萌えー!
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